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作詞について思うこと
唐突ですけど。
「歌詞」って、「好きかそうでないか」でしか評価されないんですよね。
例えば「歌声」とか「絵」は上手いとか下手だって評価のされ方をよくされますけれど、「歌詞」に関しては上手い下手って評価をされた場面をほとんど、というかまず見かけたことがないです。
作詞にも、そりゃ韻を意識するだとか、体言止めを使うとか、そういった技法はありますけれど、別にそんなの知らなくたって作詞なんてできるんです。
確かによっぽどあれな歌詞を見かけるときもありますけど、それでも下手だとかじゃなくて、なんていうか、ああ、そんなに赤裸々にまっすぐに言葉を並べちゃうのね、なんて類で、でも誰が聞いたってそう思うわけではなくて、それが逆にいいなんて思う人も結構いたりするんですね。
某会いたくて会いたくて仕方ない人なんか特にそういう類なんだと思います。
僕自身がそういう歌詞が好きかどうかは置いといて、少なくとも自分では書きたくないと思いますけれど。
なんていうか、単純に言葉を並べるだけなのがあれなら、もっとひねらないとダメかって言われるとそうではないし、別に難しいことを言う必要はないんだと思います。
人間なんて誰だって共通して考えていることってあると思うんですが、「好き」の一言を「好き」以外の言葉で、自分なりに表現するのが作詞ってものなんじゃないでしょうか。
例えばですけど、
「会いたくて会いたくて震える」
なんてものを僕なりに表現すると、
「画面越しの君のやり取りに、届かない切なさを知った」
とか、文字数を無視するとこういう形になったりするわけです。
同じ14文字で整理するとこうでしょうか。
「“会いたい”の一言送れず」
続けるとこうかな。
「“会いたい”の一言送れず “今何してる?”に置き換えた」
なんかTwitterの運営みたいな言葉になっちゃいましたけど。
これはすごい簡単な例ですけど、こういう具体的な例って自分が体験したことだったり、自分の中から出てきたことだったり。自分が出したいものにより近い言葉だったりするんですね。
別に大して難しいこと書いてないけど、どうでしょうか?
例えば「誰かが好き」ってことを歌詞にしたいとして、それを表現するのは自分の言葉にしたいんです。
僕はもともと小説を書いていましたが、初めて作詞したときすごい困難しました。
歌詞って、小説に比べるとすごく文字数が少ないじゃないですか。
だから、表現できることが限られてるなって思ってたんです。
でも、実際書き進めていくうちに、ああ、歌詞のほうが自由に表現できるところも多いな、って感じることが増えました。
自分で作詞したものを説明するのってすごい個人的に恥ずかしいことなんですが、例として以下ちょっとあげてみます。
「別れた後の浮かぶ言葉に 届かない幼さがもどかしくて」
上記のは『言葉の宝石箱』の歌詞の一部で、個人的にすごい気に入っているところです。
ココは、「君と遊んで最後に別れて帰った後、『寂しい』とか『楽しかった』とか『ありがとう』とか『大好き』だとか、もっといろいろそれに近いことを考えるけれど、それをうまく自分の言葉にするだけの、表現して相手に伝えるだけの大人には僕はまだなれていなくて、それがとてももどかしい」って意味で書きました。
小説だと、同じことを伝えるのに、今みたいな感じのを歌詞よりも長い文で表現しなければいけないんですね。あんまり簡潔すぎると伝わらない、もっと言葉を重ねていかなきゃいけないんじゃないかなってなる。自分はですけど。
でも、うまく表現できない、とか、うまく伝えられない、ってのをまとめて「言葉に届かない」って表現ができたのが個人的に気に入っています。
これは僕が、例えば友達とかと遊んだあと、すごい楽しかったー、寂しいなー、ああみんなのこと大好きだなーって思う気持ちとか、そういうのがぽよぽよ浮かんでくるわけですが、それをうまく表現できないし、うまく伝えられないやっていつも思っているところから来てたりします。言葉としては浮かぶんだけど、それを表現するだけのものがないっていうか。
んで、こうやって長々と書くよりも、簡潔に書いちゃった方が逆に表現の幅が広がるよなって思うことがあるってことなんです。
上手く言いたいことまとまんないや。うん、こういうのを言葉に届かないって言うんですかね。

で、話が逸れたんですけど、というか元々ゴールの設定もなしに作詞についてぐだぐだ話してるわけなんですけれど。
なんで作詞って好きとそうでないか、でしか表現されないのかなーって思ったら、なんていうか、「言葉」だから何じゃないかなと思ったり。
普段から僕たちは日常的に言葉を使っているわけですが、自分の意志を他人に伝えるのがものすごく苦手な人もいるわけですが、でも基本的な日常コミュニケーションは成り立っていて。
それはほとんど言葉というもので成立していて。
勿論「コミュニケーションが下手」とか「伝え方が下手」ってのはありますけど、実際に伝えられているかどうかはともかくとして、実際に表現して出てきたものに対して上手も下手も何もないと思うんです。、例えば「好き」「楽しい」「嫌い」「寝る」なんて言葉に下手もなにもないと思うんです。
「カラスみたいな逃げ方」とか表現したとして、それが伝わらなかったとして、それは「伝え方が下手」なだけで「言葉の意味が下手」なわけではないんですね。
言葉ってあくまで個人差、みたいな認識ありますよね。誰しも最低限はできる。
「絵」とかって別に万人が全員毎日触れているわけでもないので、技術の差がはっきり目に見えたりしますよね。
でも言葉ってほんと誰でも最低限大抵できるんです。
よく「作詞できてすごいですよね」って言われるんですけど、別に自分はそんなこと思ってなくて、作詞なんて誰でもできるんですよ。
喋れれば、言葉がつかえれば、誰でもできるんですよ。最低限音数さえ合ってればいいんです。
ちょっと話が逸れると、以前知り合いが「他の人に頼んだら、提出した曲と音数がまったくあってない上勝手にCメロが追加されてたり、ABサビの概念が分からない人がいたりして、そこからか!ってなった」って言ってたから、世の中にはいろんな人がいるんでしょうけど。特に「勝手にCメロ追加」って自己主張激しいのもほどほどにですよね。
でま話戻すと、作詞なんて誰でもできる。
じゃあ何でいちいち「私作詞できます!」って言う人が多いんだろうって思いました。ピアプロコラボの初期の頃、「作詞できます!作詞しかできません!」がメンバーの5割くらいなんてざらでした。
なんでみんなできるのに、いちいちできるなんて言うんだろう? 作曲した人が自分で歌詞書いたって一緒じゃん。って思いました。というか、作曲した人が一番その曲のリズムに近いものを体の中に感覚として持っているわけで、一番作詞しやすいだろうなんて思ってます。
以前「ボカロPの中の人」って本でインタビューを受けたときにも似たようなことを言わせていただいたんですが、
「自分が『これは自分にしか出せない』と自信をもって、自分にしか出せないものを出せないと、作詞家なんていらない」と思うんですよ。
「好き」って言葉を「好き」って書くだけなら誰にでもできる。
だったら、「好き」を「月が綺麗ですね」とか「もう死んでもいい」とか「君がいるだけで頑張れる」とか「恋なんてしなきゃよかった」とかそういう言葉に置き換えたほうがいいと思うんです。
別に飾り付ける必要なんてないんです。難しい言葉である必要はないんです。「好き」を意味する言葉が「好き」しか浮かばないなら、「好き」って二文字以外に表現できないくらいの想い、って書けばいいと思うんです。
で、じゃあ自分なりの言葉で「好き」を表現するにはどうしたらいいかって、多分そういうのが自然にできる人って普段からやっているんですね。
僕がすごい尊敬しているボカロの作詞の人がいるんですが、その人のTwitterってなんか知らないけど見てて思わずふふって笑っちゃうような感じに面白かったりするんです。別に特別なことを言ってるわけじゃないのに。
作詞に使われるのが「言葉」だからこそ、普段から「言葉」の使い方にこなれてたほうがいいんでしょうか。わかりませんけれど。
そんなことに気づいた昨今でした。
これから「眠い」ってなったときは「夜通しセックスして明け方を迎えたホモカップルの攻め並の眠さ」とか表現すればいいんですかね。
「お腹空いた」ってときは「お腹が空いた。そうそれはまるで、ハンストを続けて最終日を迎えたあの学生たちのように」とか表現すればいいんですかね。
そうすれば作詞がうまくなる気がします、頑張りたいと思います。
嘘です、面倒なのでやりません。
でも何かしら気を付けてみたいなと思う感じのあれこれそれこれでした。
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【2015/09/04 23:20 】 | 未分類 | page top↑
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