スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:-- 】 | スポンサー広告 | page top↑
怒らない、ということ
とりとめのない雑記、独り言です。



なんにでもピリピリしているのってよくないですよね。
少しのことですぐイラっときて、ついかっとなって余計なこと言ってしまったりして。
だから、できるだけ怒らないでいることとか、なんでも受け入れることって、大切だって。
多分そんなの大半の人が思ってることだと思います。
怒らないですむならそれでいいって。

僕も思ってます、というか思ってました。
ちょっと過去ピリピリしていたときがあったので、できるだけ何に対しても怒らないようにしよう、
とかそいうことをつい最近ですけど、ちょっと意識しておりました。

じゃあ、どうやって怒らないようにしようかって話です。
例えば過去と同じことが起きたとして、過去はそれに対してイライラしてたのに、イライラしないですむ方法ってなんでしょう。

簡単でした。
距離を置くことでした。
距離を置くっていうのは、単純に接触を断つとかそういうこともありますが、
どちらかというと心の距離を置くことでした。
自分の心の意識がそれに対してあまりに近すぎると、やはり感情って揺さぶられやすくなりますよね。
アニメとか漫画とかドラマとか見てて感情移入してしまうのと一緒です。
よく、感情的になってしまったキャラクターが、心を落ち着かせるために、ふーって息吐いて冷静になってたりしますよね。
あれって心を落ち着かせる、というか、その事柄から心を引きはがす、ってことだと解釈したいです。
何かに怒ってしまった、その心を落ち着かせようってとき、例えば水を飲んだり、そのイライラするゲームをやめたり、別のことをしたりします。
あれって、別の方向に心を向けることで、その事柄から心を離してるんですよね。自分でやっててもそう思うから。
だから、怒らないための一番の方法って、心を引きはがすことなんですね。そして、初めから距離を置くことなんです。
距離を置いて、内側じゃなくて外側から眺める。
より第三者視点で眺めることだと思います。

僕は怒らないため、心を引きはがす、ということを繰り返した結果、最初から心を離しておく、ことを無意識のうちに行っていました。
でも、それってどうなんでしょう。
ある意味、興味をなくすこと、に等しい気がしてきてしまうんです。

昔の恋人は割と感情的な人だったんですが、僕は別れた後、その人にこんなことを言っていました。
「そうやって感情が豊かなのが、君の長所だよ。はっきり言葉にも態度にもできるところ」
嫌味ではなく。

例えばですけど、怒りっぽい人と、いつでもニコニコしてる人がいるとするとします。
いつも怒ってる人はちょっとごめんなさいだけど、怒りっぽい人ってうれしいとかすごいとかいう感情も素直に出したりしますよね。
でも、いつもニコニコしてて何も愚痴も言わない人って、いつも同じだから何が好きとかそういうのがわかりづらかったりします。

どっちがいいかってのはまた別問題だけど。

不良更生物語は正直どうでもいいですが、例えば不良が猫を拾った、なんて話もそうですよね。
いつも不良な分、猫を拾ったところに、優しさが見えやすいんです。
逆に、いつもニコニコしてる人が怒ったときがいい、とか、授業中だけメガネかけるのがいい、とか、受けっぽい人が攻めてるのがいい、とかそういうのもありますよね。
ギャップ萌っていいます。
そして、人間味を感じられる瞬間でもあります。
いつもニコニコ穏健キャラを、二次元で腹黒にしたくなるのも、そのほうが人間味が感じられるからなんじゃないでしょうか。

まあ、ギャップ萌的なのは、希少な分価値が上がる的なものもあるかと思いますが、不良がいつも不良だったり、ニコニコしてる人がいつでもニコニコしてたり、
ずっとメガネかけて…たりするのは好きな人もいるから置いといても、なんていうか、ずっと均一、っていうのは平坦で何も感じられない気がしてきます。

八方美人があまりよく思われないのってそういう理屈だと思います。
誰に対してもいい顔をするから、何を考えているかわからない。
誰に対しても同じ反応をするなら、相手が自分でも自分じゃなくても変わらない。
相手は自分のことをどうでもいいと考えている、と感じてしまうんです。
その他大勢と変わらないなら、特別深い付き合いをする必要はない。

話が逸れました。
逸れたようで逸れてないんですけど一応戻します。

怒らないようにする、ために、自分が努力したことは、すべての事柄から少しずつ心の距離を引き離す、でした。
「そんなのいちいち怒ることじゃないでしょ?」「自分に何か関係あるの? 怒る意味ある?」
そんなことを自分に言い聞かせていくと、イライラしてた感情とかが消えていきました。
同時に、物事に対する心の距離とか興味とかも開いていく感じがしました。

鬱病の治療とかでもそうですよね、自分の負担に感じる人間には近寄らない。
心が揺さぶられるのは距離が近いからなんです。

でも、怒らない、という状態をずっと続けていくと、自分でなんだか、自分がすごく薄っぺらい存在のような気がしてきました。

正直、これはただ僕の常日頃の考えなんですけど、
ツイッターとかでも、いつも語尾に♪つけてたり、楽しい話題だけルンルンしてる人って、
何考えてるかわからない気がして近寄りがたい気がします。
いつも平坦で、どこで感情が揺さぶられるとかそういう個性が感じられないから。
あんまり愚痴ばっか言ってるのも見たくないけど。

「仏のような心」ってよく言いますけど、仏のような心ってことは、つまり無我です。
無我ってことは何もないんです。
自分の相手に対する興味とか、なにもかもが。
心が揺れないんです。

僕は作詞家なので、そういう、心が揺れないというのは、何かに興味を薄くしていくというのは、
あまり歓迎できるものではないのではないか、と思い始めました。
上記した、昔の恋人に言った言葉も思い出しました。

怒らないでいるほうがよっぽどいいし、心の負担にもならない、という考えは間違ってないと思います。
でも、同時に、何に対しても怒らないでいる、というのは、何か大切なものを失っていくような気がしています。
感情、というのは、何にせよ自分を振り回すもので、自分の行動を決定づけるものです。
それをなくすのはどんどん自分じゃなくなっていう気がしてきます。

怒る、という感情を消す、のではなくて、別の方向にもっていけばいいのではないだろうか、とか考えたりします。
よく、到底面白いとは感じられない場面で、めっちゃ面白い、とか、クソ笑う、とか使ってる人いますよね。
感情を別方向に誘導している、とか、いやこれは面白いことなんだって自分を言い聞かせている、とか、そういう風に自分はとらえたりします。
でも、これが答えだと思っているわけでもないので、人間の感情というのは難しいと感じます。

怒らない、ってなんだろう、と考える昨今でした。
スポンサーサイト
【2015/10/15 15:52 】 | 未分類 | page top↑
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。