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【作詞ヒストリー】『眠りについたおもちゃ箱』について
久しぶりなので長いです。




■KarenT
『White Flower~all my Love~』
http://karent.jp/album/590

『all my Ballads~Forever Love~』
http://karent.jp/album/1023

■アルバム
『ALL MY BEST』
http://yaplog.jp/kidsworks/archive/83



『眠りについたおもちゃ箱』について


『眠りについたおもちゃ箱』を書いた当初は、
まだトイストーリー3が公開されていませんでした。
当時の自分が、トイストーリー2の後の話、
みたいなことを考えながら書いたのがこの『眠りに
ついたおもちゃ箱』です。

僕は姉がいる影響もあってお人形遊びとかが好きでした。
今でもやわらかい人形をもふもふするのは好きですけど。
でも、段々とそんな遊びをしなくなって、名前をつけて
愛着のあった人形もいつしか埃をかぶっていきました。
押入れとかクローゼットの中にしまわれたものもあれば、
高い棚に並べられているものもあります。
僕の勉強机からふと顔をあげると、イルカの大きなぬいぐるみ
とかレッサーパンダのぬいぐるみとかが見下ろしてきます。
(今は引っ越しして少し環境は変わったけど)
人形遊びなんてしていたことも普段は忘れているのに、
そのたび、なんか懐かしい気分になったりして、
子供のころ純粋に考えていた夢とか、懐かしいあのころが
心に浮かびあがります。

作詞の方でも多分書くと思いますが、「古びた僕は構わなくても
願った夢忘れないで」「夢の中では生きてるかい」
という歌詞は、例えあの頃遊んでいた僕(おもちゃ)を忘れても、
あの僕と一緒に過ごしたころに願った夢だけは忘れないで、
そうすれば僕は君の中で生き続けることができる、と、そういった
意味を込めています。
多分きっと、どんなに忘れたと思っても、あの頃過ごした思い出は、
何かしら自分の心に残って今の自分につながっているのだと思っています。

動画のコメントに「子供に向けた歌じゃなくて、あの頃子供だった
大人に向けた歌だったんだ」というものがあって、ああ、確かに、
そうだなあと思った記憶があります。
自分では特に意識したことはなかったけれど、逆に意識してなかったのに
納得できただけあってすごいうれしいコメントでもありました。
でも、というよりは、未来に大人になっていく自分に向けた歌詞
だったんだな、と思うときもあります。
今聞き返すと、子供のころ純粋に願っていた夢を忘れているような、
そんな気分にさせられます。


一番の歌詞は、もう本当にしばらく誰も触っていない押入れとか
クローゼットの奥にしまわれた、おもちゃとかぬいぐるみのような
彼らを表していて、この歌詞を書き終わってからふいに懐かしくなって
昔から僕を見下ろしているぬいぐるみを見上げて、大丈夫だよ、と話し
かけている怪しい人になっていました。

「取れた片腕」っていうのは、ある種残酷かもしれないけれど、
何かが壊れること、汚れること、失うこと、そんなことを考えもせず
ただ心の赴くままに遊んでいた頃を表現しています。

一番のサビ「幾星霜の時間をかけて」のかけては、時間をかけてと、
駆けてという意味も込めています。
黄色いソファに寝ころびながら、天井に無限大の夢を描いて、
未来の自分とか、これからの夢とか、壊れることも汚れることも失う
こともあるかもしれない未来なんて思いもせず、ただ純粋にどこまでも
続く夢を見ている様を描いています。
前にも書きましたが、キセキは奇跡と軌跡でかけるのが好きで、
「天井に描いた軌跡」であり、持ち主である「君」が歩んできた軌跡でも
あり、ずっと眠りについていた僕が目覚めた「奇跡」でもあります。
そのキセキに呼ばれるように僕は目を覚ました、と。
後に出てきますが、その夢の証であるピアノの音、歌声に呼ばれるように
目が覚めた、みたいな感じにも取れます。


二番、埃まみれってことはやっぱり長らく誰も触っていないということです。
「僕の宝箱」と書いているのは、おもちゃにとってその彼と過ごした
時間が詰まったかけがえのないものであり、同時に彼にとっても宝箱で
あればいいという願いを込めています。

この「僕」はネジを回すとオルゴールのような音が鳴る、という設定で
書いています。
その音も、今はもう僕のネジが赤錆びて回らなくて鳴らない程時間が
経ってしまっている、と。
だから、もう「やんちゃな君」はいなくなって、声も変わっているかも
しれないけれど、おもちゃが記憶をしているやんちゃな君の声を頼りに
「君」の存在を外に感じようとします。

幾星霜の時間をかけて終わらない夢を辿るよ
というのは、あの頃君が描いていた夢を、未来を描くその頃の記憶を、
ただ永遠に僕は辿り続けているという意味です。
古びた僕は、埃を被った僕のことはもう構わなくてもいいけど、あの頃
描いていた夢だけは忘れないで欲しいと、おもちゃである僕は祈っています。

あの頃は拙くて、ただ無邪気に引いていただけだったピアノが今は変わって、
今僕が閉ざされて埃を被っている闇の中、宝箱の中へと届いて聞こえてきます。
それも、僕がもう赤錆びてネジが回らなくて、出すことのできない、
だけどあの頃僕が君に奏でていた曲が、その歌が、響いてくる。
どこまでも響くよというのは、僕の元に響いてきたという意味でもあり、
闇の中へと届いてきたという意味でもあり、これからの未来、どこまでも
響いていくよって意味も込めました。

あの頃無邪気でキラキラした大きな夢を描いた君の過去、
そして今も、あの頃の夢を描いてその夢を未来に向けて辿っている――そうだといいなと思っている。
古びた僕はもう構わなくてもいいけど、おもちゃ箱を漁ることはなくても
いいけど、その未来に続く夢の中で、あの頃の時間が、僕という存在が、
生き続けていればいいなと、そういうおもちゃの願いが最後の歌詞です。


今見返すと心が抉れるくらいキラキラして見える歌詞で、
大人になったからこそ響いて聞こえてくるような気がします。
そんな曲になっていたらいいなと思います。
例え今は夢の形が違っていても、あの世界のすべてや未来がまだキラキラと
輝いて見えた頃、未来は無限大に感じていたあの頃が、まだ心の奥に残って
今の自分たちの糧になっていればいいなという願いを込めた歌詞でした。
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【2016/03/11 11:59 】 | 作詞ヒストリー | page top↑
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