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音楽は人を救うか、について
いつも通りのとりとめのない雑記です。



Twitterで「音楽で人は救えない」という意見の人を何人か見ました。
自分が初めにその意見を見たときの率直な感想としては
「ああ、そういう考え方をする人もいるんだ」でした。
それは、音楽は人を救うか、救わないか、という意見においてではなく、
そもそも、音楽が人を救うかどうかという話題を真剣に語れる人もいるんだ、
という観点においてでした。

自分は音楽が人を救う救わないという観点であまりものを考えたことがなかった
のですが、そういう話題で自分の意見の立場としては、音楽で人は救われる、
と考えています。
でも、この論議おいて物事を考えるとき、「救う」の定義について
考えなければいけないのではないか、と思いました。
音楽如何ではなく、「救う」の定義の重さの違いだと僕は考えています。

自分にとって音楽とは、人生という道端に咲いた花みたいなもので、
当たり前に咲いていることもあれば道を彩ることもあり、なんというか、
人生に添えられたある一つの事象、のような存在です。
道端に咲いた花を見てきれいだと心が和んだり、お前も一人なのかいと
一輪咲く花に話しかけてよくわからない同調をして孤高に浸ったり、
花粉に悩まされてマジふぁっくとか思ったりする対象です。
そして、道端に咲いた花を見て心が和んで、そのとき荒んでいた心が
少しでも癒されればそれは「救い」だと僕は考えています。
例えばそれ以上の、自分の考えを根本的に変えるだとか、現状の不満を
すべて解決するだとかは、音楽にそもそも求めていません。
以前僕が作詞したものに「自分の気持ちを代弁してくれるみたいで救われた」
と感想をくれた人がいて、そのときはすごい嬉しかったです。
その人も別に心の底から人生すべてが救われたとかじゃなくて、自分と
の考えとか境遇に近い歌詞を見て、心に寄り添ってくれたように感じて
楽になったとか、多分そういうニュアンスなのだと思います。

音楽で人は救えない、と意見をしている人は、音楽を主にして
人生を生きているような人が多いように感じました。
道端に咲いた花ではなく、道そのものだったり空だったり空気だったり、
そこにあるのが当然であるような。
その人たちの考える「救い」とはなんなのでしょうか。
音楽に求める「救い」とはなんなのでしょうか。
その人たちも、音楽を聴いて、少し心が安らいだり、楽しくなったりした
ときもあると僕は考えているのですが、多分その人たちにとってそれは
「救い」ではないのだと思います。
人生において音楽が重要な部分を占めているだけに、音楽には救われないにも
関わらず音楽に求める「救い」が大きいというパラドックスを抱えているのか、
もしくはそもそも抱えてる闇が深すぎてそれだけの軽い気持ちでは
「救い」にすら感じないのか、そのどちらもあるのか、わかりませんが、
おそらく僕の考える「救い」と彼らの考える「救い」は重さが全く違うのだと
思います。

「音楽は人を救わない」というフレーズを見て、何かもやもやしたものを
抱えていたのですが、整理してみるとこういうことなのかな、と今頃ようやく
腑に落ちてきたので言葉にして書いてみました。
いつも通り適当な雑記でした。
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【2016/03/16 10:52 】 | 未分類 | page top↑
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